戦後の物資の窮乏と財政の逼迫といった困難のなか、教職員、学生、卒業生らが力を合わせて、戦災からの復興と各地に分散した学部施設の東山への集結を進めました。念願であった本格的な講堂や図書館も、民間の篤志によって、1960(昭和35)年には大学のシンボルである豊田講堂が、1964(昭和39)年には古川図書館(現在の古川記念館)が東山の地にそびえ立ちました。また、1961(昭和36)年にプラズマ研究所(現在の大学共同利用機関法人自然科学研究機構核融合科学研究所)、1973(昭和48)年に水圏科学研究所を附置するなど、教育研究組織の拡充も図りました。
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