そう考かんがえると、私わたしたちは日頃ひごろ、つい目先めさきの知識ちしきを持もっているかどうかを気きにしすぎて、こんなことを発言はつげんしたら、何なにも知しらないやつだと思おもわれ、笑わらわれるのではないか、と思おもって、ふと疑問ぎもんに思おもっても聞きけない、また気付きづいたことがあっても発言はつげん出来できない、ということが多々たたあります。>>日语学习咨询
我们常常会过于担心自己是否掌握了眼前的知识,认为如果我们说了,就会被嘲笑什么都不懂,所以即使有疑问,也不会问,或者注意到什么时不说。
ですが、目指めざす先さきをもっと大おおきな智ちをそなえた人ひとに焦点しょうてんを当あてれば、いくつになっても知しらないことは知しらないといえますし、思おもったことを素直すなおに発言はつげんできるようになるのです。それこそが、老子ろうしの言いう「本当ほんとうの智ち」への道みちなのですね。
但是,如果我们把目光放在那些拥有更大智慧的人身上,就会发现,他们多大年纪不知道就说不知道,可以很诚实地说出自己的想法。这才是通往老子所说的 “真智”的道路。
さあ、知しったかぶりをやめて、知しらないことを相手あいてに聞きく勇気ゆうきを持もち、わずかな知識ちしきにこだわらない自分じぶんになって、日々ひびの生活せいかつを好奇心こうきしんに満みちた、楽たのしい世界せかいに変かえてゆきましょう。不要再假装万事通,要有勇气问别人你不知道的事情,成为一个不满足于一点知识的人,把日常生活变得一个充满好奇心和乐趣。