リュックが流行らしい。男も女もしょっている。
あれはあれで、一つのファッションなんだそうな。ミニスカートにリュックなんてスタイルもざらだ。
たしかに、あれは楽だろう。右手にバック、左手でつり革につかまらねばならない私としては、ホンが読みたいときなど、つくづくうらやましく(私も一つ、ああいうのを買おうかな)と、年がいもなく思ったりする。
車中読書に限らない。同じ本三冊を運ぶにしても、バックよりリュックの方が、肩コリははるかに少なくてすむだろう(この辺の動機から既に、若者とはかなり違っていたりする。)
が、はたのものにしてみれば、あれほど迷惑な物はない。
なんたって、背中が出っ張る。その分、どうしても場所ふさぎになる。
電車の中でも、一人で二人分とっている。通路なんて、通れない。
それでもって、リュック人間にはなぜか、ヘッドホンカセットをしている人が多いのだ。
「すみません」
「すみませーん
声をかけても、彼らの耳には聞こえない。仕方なしに、実力で押しのけて通るが、彼らは決して、リュックを下ろそうとはしないのだ。押されたらただ、その反動でもって、元に戻るだけである
どんなにこんでいたって、そうだ。彼らのせいで、苦しい体勢を強いられる私としては、(こ、こんなときくらい、網棚に上げるか何かしろ)と心の中で叫ぶが、通じない。
一体に彼らには、後方に対する気づかいというものが欠けている。自分のリュックが、いかに邪魔になるかが、分かっていない。「空間的想像力」の欠如といおうか。
むろん、世の中甘くはないから、彼らだってしょっちゅう押されたり小突かれたりしているはずだ。それでも全然めげないのは、あまりにいつものことなので、押されようが何されようが、不感症になっているのでは。
降りるときなど、人々の間に、リュックだけ引っかかってしまっている。それをまたぶんぶんとぶん回しながら、振りほどいて降りていく。人に当たろうが何しょうが、お構いなしだ。ああなると、リュックも気の毒である。
目を後ろにつけろとは言わないが(もう少し、リュックの分を計算しろよな)くらいの注文をつけたい。
この前は、ひやりとすることがあった。
学生風の男の子が、駆け込み乗車してきたのだが、背中ぎりぎりでドアが閉まり、リュックがはさまってしまったのだ。手を伸ばしてこじ開けようにも、真後ろなので、どんなにしても届かない。あおむけになった虫のように、腕をばたばたさせるばかり。
周りの人がよってたかって引っぱって、どうにかこうにか抜くことができた。
(危なかったー)
と胸をなでおろした。あれだったら、運転手が気づいてあけたとしても、ホームに引っくり返ってしまったに違いない。
漸く走り出した電車の中で、(空間的想像力がないのも、時には危険でさえあるな)と、しみじみ思ったことだった。