京都のまちを歩くと、「遭難之地」と書かれた碑が多いことに気付く。ここで坂本龍馬が、ここでは佐久間象山が命を奪われたかと足が止まる。刃を交えることと、政治を語ることが背中合わせだった幕末の匂いがある▼時代の証人となる場所や建物に、小さな茶室が加わることになりそうだ。「有待庵(ゆうたいあん)」と呼ばれるその部屋は、大久保利通が西郷隆盛や岩倉具視らと密談を重ねたとされる場所だ。現存することが5月に確認され、保存が決まった▼かつて大久保邸のあった敷地の奥に茶室はひっそりと残り、物置に使われていたという。なぜか十分な調査がなされず、忘れられた存在になっていた。しかし地元のアマチュア歴史研究者、原田良子(りょうこ)さん(52)は「もしや」と考えていた▼家屋の解体工事が始まったのを見て、敷地に入れてもらい発見した。3方に大きな障子戸がある茶室らしからぬ構造は、危険を察知しやすく逃げやすいためと原田さんは見る。元々は京都の別の場所にあり、薩長同盟の密談に使われたとの資料もある▼歴史を見つめてきた建物だが、発見が何日か遅ければどうなっていたか。観光でにぎわう京都はいま再開発が進み、ホテルなどが増えている。由緒ある建物がこっそり姿を消していないか心配になる▼元小学校教員の原田さんは歴史好き、推理好きから研究者になった。大久保の家の周りは新選組がうろうろしていたかも、などと楽しそうに話してくれる。茶室は京都市が移築し、公開を予定している。
密谈与茶室
走在京都街头,笔者注意到有许多写着“遇难之地”在石碑。停下脚步细看,这里是坂本龙马,这里是佐久间象山被夺去性命之地啊。不禁嗅到了一股刀刃交锋,政治不合的幕府末期的气息。
成为时代证人的场所和建筑物里,似乎还有一间小茶室。那个叫做“有待庵”的小屋,便是大久保利通曾多次与西乡隆盛和岩仓具视等人进行过密谈的地方。5月份确认该地现存完好。决定将其保存下来。
过去,大久保家的地皮最里面茶室默默地留了下来,被当成置物间使用。为什么当时没有做细致的调查,使之成为被遗忘的存在了呢。但当地的业余历史研究者原田良子(52岁)认为是巧合。
看了房屋拆除工程开始后,允许进入地皮中发现了这间茶室。原田看来,有3面大纸拉门的并不像茶室的构造让人看了很容易觉察到危险并迅速逃离此地。还有原本在京都别处,被用来与蕯长同盟密谈的场所的相关资料。
这些见证了历史的建筑,如果再迟些日子被人们发现会有怎样的命运呢。因观光而变得热闹起来的京都,目前正进行着二次开发,酒店宾馆的数量也不断增加。那些有历史渊源的建筑会不会悄然消失呢,真让人不由地担心起来。
原田曾是当地小学的教职员,喜欢历史,喜欢推理,因而成为了研究者。她开心地给我们讲述了诸如大久保家附近也许新选组的人们曾在那徘徊过的事故。茶室现在移到了京都市,正打算对外开放。