手塚治虫(てづかおさむ)は、1928年11月3日、大阪府豊中市(とよなかし)に3人兄弟の長男(ちょうなん)として生まれた。開放的(かいほうてき)な家庭(かてい)に育ち、漫画(まんが)とアニメーションに親しみ、機智(きち)に富んだ想像力(そうぞうりょく)豊かな少年であった。また昆虫(こんちゅう)をこよなく愛し、ファーブルを思わせる少年でもあった。自身(じしん)のペンネームに「虫」という字を当てたことでも、その興味(きょうみ)の程(ほど)がわかる。
戦争体験(せんそうたいけん)から生命(せいめい)の尊さを深く知り、医学(いがく)の道を志して、後年(こうねん)、医学博士 (はかせ)になるが結局(けっきょく)彼自身が一番望んだ職業(しょくぎょう)を選んだ。すなわち漫画家、アニメーション作家(さっか)である。
手塚は、それまでの漫画の概念(がいねん)を変え、数々(かずかず)の新しい表現方法(ひょうげんほうほう)でストーリー漫画を確立(かくりつ)し、漫画を魅力的(みりょくてき)な芸術(げいじゅつ)にした。また、彼の作品(さくひん)は、文学(ぶんがく)や映画(えいが)をはじめ、あらゆるジャンルに影響(えいきょう)を与えた。同時にアニメーションにおいても、漫画におけるそれに勝るとも劣らない大きな足跡(そくせき)を残した。手塚治虫の該博(がいはく)な知識(ちしき)とエンターティメント性豊かな表現によって、複雑(ふくざつ)なテーマやストーリーを誰もがわかりやすく共有(きょうゆう)できるヴィジュアルメディアとしてのマンガが誕生(たんじょう)した。
日本初の連続(れんぞく)TVアニメーション「鉄腕アトム」や、連続TVカラーアニメーション「ジャングル大帝」、2時間TVアニメの「バンダーブック」など、これらの作品の愛すべきキャラクター達は、TVを通じて日本中を席巻(せっけん)し、アニメーションを大衆(たいしゅう)に深く浸透(しんとう)させることになった。さらに、「鉄腕アトム」は日本で放送(ほうそう) された8ヵ月後、アメリカのNBCテレビで「アストロ。ボーイ」の名で放映(ほうえい)され、大きな話題(わだい)となった。
その後、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリア、台湾、香港、タイ、フィリピン、中国など各国でもテレビ放映した。まさに地球的(ちきゅうてき)な広がりで知られるようになりなった日本最初(さいしょ)のアニメーションだった。