これほど名を知られていながら、これほど素顔を知られぬまま旅立った人も珍しいのではないか。訃報(ふほう)の写真のジャニー喜多川さんは、帽子をかぶり、サングラスをかけている。表情も年齢も読みとりがたい▼素顔や肉声をさらさない主義で知られた。同僚記者によると、取材には毎回、撮影不可という条件が付された。「劇場の客席で観衆の反応をつかむため、顔を公開したくない」などの理由が挙げられた▼「ユー、やっちゃいなよ」。そんな言い回しで知られたが、取材には折り目正しい日本語をゆっくり話し、敬語も丁寧だった。ジャニーズらしさとは何かと尋ねると、「品の良さ」と答えたという▼1931年、米ロサンゼルスに生まれた。幼くして、真言宗の僧である父の故郷・和歌山県へ移る。米軍の空襲下、紀の川に飛び込んで生き延びた。朝鮮戦争の際は、米軍側の一員として半島に滞在。戦災孤児らに米兵の衣類を洗う仕事を与え、自立を助けている▼ショービジネスの基本は、朝鮮戦争の前に暮らしたロサンゼルスで学んだ。高校や大学に通うかたわら、美空ひばりさんら日本から訪米する歌手の公演を手伝う。東京に移り、30歳でジャニーズ事務所を設立する▼フォーリーブス、シブがき隊、少年隊、SMAP、嵐、関ジャニ∞……。ジャニーズのだれが好きかを問えば、容易に世代を言い当てられる。人前では素顔を見せず、裏方に徹し、日本の大衆文化に新風を吹き込み続けた希代のプロデューサーだった。
