【天声人語】空中競詠90年 2019年10月2日
昭和4(1929)年の秋晴れのある日、斎藤茂吉ら4人の歌人が本社機コメットに乗り込んだ。題して「空中競詠」。飛行機で旅する人がまだ少ない時代、高名な文人がどんな感興を機上で抱くのか関心を呼んだ▼〈飛行機にはじめて乗れば空わたる太陽の眞理を少し解(かい)せり〉。茂吉、47歳にして初めての空の旅である。緊張のあまり前夜は睡眠薬を飲んだ。〈雲のなか通過するときいひしらぬこの動揺を秀吉も知らず〉。太閤秀吉でさえ味わえぬ空中遊泳の興奮を詠んだ▼社機は東京の立川飛行場を発つ。〈電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕(ざんごう)赤羽の鉄橋隅田川品川湾〉。茂吉には珍しい自由律。目を射る風景を並べただけだが、空の臨場感を伝えて巧みである▼同乗した前田夕暮は「感興横溢(おういつ)、歌が出来て出来て際限がない」と喜び、数十首作った。〈二千メートルの空で頭がしんとなる、眞下を飛び去る山、山、山〉。詩とも歌ともつかぬ作品に初飛行の感激があふれる▼歌壇の歴史に残る空中競詠から今秋でちょうど90年。秋晴れの午後、本社ヘリに乗り込み、歌人たちの航路をたどった。当時はなかった米軍基地にオスプレイが駐機し、神宮外苑には完成間近の新国立競技場が見える。隅田川や丹沢の山並みはそのままだ▼急な旋回に胃を縮めながらも、広い視界を楽しむこと90分。〈われより幾代か後の子孫ども、今日のわが得意をけだし笑はむ〉茂吉。時代が違っても、空への憧憬(しょうけい)、空での高揚は少しも変わらない。
空中竞咏
昭和4年(1929年),某个晴朗的秋天,斋藤茂吉等4名歌人登上了本报的直升机彗星(comet)号,展开了一场题为“空中竞咏”的飞行。那时乘坐直升机旅行的人还很少,斋藤等名望文人是抱着怎么一种兴致登上直升机的呢,这引发了人们的关注。
“日之真理,划过天空。首次登机,理解一二”。这是茂吉47岁进行的第一次空中之旅。因过于紧张导致前一天晚上还服用了安眠药。“穿过云层,不知所言。此番动摇,秀吉未知”。这吟咏出了太阁秀吉也无法品味的空中漫游的兴奋之情。
本报社的直升机从东京立立川机场出发。“电信队,净水池,女子大学,监狱,射击场,战壕,赤羽铁桥,隅田川,口川湾”。这是茂吉少有的自由律诗。虽然诗中只是将看到的风景简单地排列,但巧妙地传达了空中身临其境的感觉。
一同搭乘直升机的前田夕暮地高兴地“兴致四溢,咏诗根本停不下来”,写了数十首诗。“两千米高空,脑中一片空。其下飞过的,是山还是山”。这即说不上是诗也说不上是短歌的作品洋溢着首次飞行的感激。
留在歌坛史上的空中竞咏到今年秋天正好90周年。秋日晴朗的午后,坐进本报的直升机,追寻当年歌人们的航线。能看到当时还没有建成的美军基地里停着V-22鱼鹰战机和神宫外苑临近完成的新国立竞技场。隅田川和丹泽山脉还是那样。
虽然急速的回旋有些反胃,但还是很享受视野广阔的那90分钟。“今天我所得意的东西,也许会被后几代的子孙嘲笑吧”——茂吉。即使时代不同,人们对于天空的憧憬在天空中的亢奋却一丝未变。